汗を吸い、丈夫で保温にも適している木綿を使い、縦横に筋を入れた縞織物は、南蛮貿易で注目され「唐縞」などと呼ばれ江戸時代では最新の織物でした。文政年間に鯖江の下石田に住む、高島善左衛門は貧しい村人を救うために美濃で縞織物を習い、織工を招いて工場を建てました。これが人気を博し、副業として近在に広がりました。これが石田縞の始まりです。 石田縞は衣服、野良着、布団地などに広く愛用されました。明治33年(1900)には生産高33万反にまで達するほど織られました。明治39年に福井師範学校女子部が石田縞の袴を制服に採用したのを皮切りに、福井県下の女学校や小学校の制服に指定されて、ひろく愛用されました。 しかし、大正時代に動力で動く力織機によってさまざまな布が大量に織られるようになると、学校制服がセーラー服へと変わり石田縞は急速に衰退していきます。 その後は幻の織物と呼ばれていましたが、数人の作家によって復元し、「石田縞手織りセンター」が繊維協会によって誕生しました。センターでは、草木染めで染めた糸を使い、整経をし、手織り機で石田縞を織りあげています。新しい石田縞のデザインをつかっての商品開発などにも力を注ぎ、新しい鯖江のものづくりを目指しています。 【開設】平成22年6月(リニューアルオープン) 【場所】鯖江市繊維会館3階 【設備】手織機(大人用4台、子供用5台)、 小型ドラム整経機、座車、管巻ほか ※センターでは石田縞の手織りやかんたんコースター作りが体験できます。 |
||||||||||
|