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1.はじめに

 繊維産業は鯖江では特色ある産業である。
 長承3年(1134)河和田荘(現在の河和田地区)が成立したさい、河和田荘の本家となった法金剛院は「八丈絹五拾疋・綿五百両」を年貢として受け取る契約をしている(『県史1』仁和寺文書)。その量の多さには驚かされるが、当時この河和田荘で養蚕・製糸・製織が盛んに行われていたことを示している。  古くから越前国は養蚕をはじめ織物にかかわってきた経緯がある。養蚕は「百姓は農桑を精に入るべき事」と秀吉の刀狩令の有名な一節で支配者の養蚕重視が窺われる。また江戸期には西陣織と各地に絹織物の産地が幕府や大名の奨励で出現、国産生糸の需要が高まっていった。

 木綿については実綿・繰綿・木綿 戸糸・綿織物などの製品として流通し、庶民や農民の衣類、綿織物、特に縞織物として普及していた。この縞木綿の一つが当地特産として知られる「石田縞」である。天保13年(1842)鯖江藩が領内のこれら国産をそれぞれ見積もったとき繭は9千貫、代金3千両、「繭糸」の見積もりを7百貫匁、代金3千5百両(1貫匁当たり正銀3百匁)で、綿織物の生産額は6千反、代金千両(1反正銀十匁)であったという。  幕末開国に伴い欧米諸国との自由貿易が始まり、生糸・蚕卵紙は輸出の花形になって、明治維新以降生糸輸出ブームは一層拍車がかかり、さらに絹織物、いわゆる羽二重が外貨を稼ぐものとして上位を占め、昭和期の大戦で様変わりするまで養蚕・製糸業は農家の副業として家内工業化されていった。一方、繊維王国福井の基礎は織機・設備の近代化とともに絹織物を主体として徐々に形成されて行く。こうした歴史の流れの中で、鯖江織物産地も形成されていった。
■鯖江繊維の歴史ー石田縞の思い出ー平成20年3月 繊維協会刊 より 抜粋
 
 
 
 
 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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